柔らかな陽射しが降り注ぐクライン邸のテラスでは、今日もこの館の令嬢の楽しげな声が響いていた。
「まあ。そんなことがございましたの。でも、いくら訓練とはいえ、危ないですわ。もし怪我でもなさったら…」
アクアマリンの瞳を心配げに曇らせるラクスを安心させるようにイザークはゆったりと笑った。
「大丈夫。この私がそんなヘマをするはずがないだろ?」
「それはそうですが、でもやはり心配ですわ。勿論、イザークの実力を侮っているわけではございませんけれども、万が一ということもありますでしょう?」
アカデミーに入学して以来やや過保護的な言動の多くなったラクスだが、それもすべて自分のことを心配してくれている故だとわかっているので、イザークとしても悪い気はしない。しかも、憂いを帯びた心配げな表情の幼馴染みは、いつものやわらかな微笑みを浮かべたそれとまた違った可愛らしさがあるので、ついイザークも軽口を叩きたくなる。
「ラクスにここまで心配してもらえるなんて、私はプラント一の幸せ者だな」
「まあ。わたくし、本当にイザークのことを心配しておりますのに。茶化すなんてひどいですわ」
優美なカーブを描く眉を顰めて拗ねる仕種をしてみせる幼馴染みにイザークは相好を崩した。
「すまない。茶化したつもりはないんだが…。正直に言うと、ラクスに心配してもらえるのは嬉しいんだ。なんだかラクスの特別になったみたいで気分がよくて、密かに自慢したくなる。そう思ってしまうのは不謹慎かな?」
冷たい印象を与えがちな蒼氷の双眸を和ませながらラクスを見つめると、彼女はすぐに機嫌を直して微笑んだ。
「いいえ。わたくし、以前にも申し上げましたでしょう? イザークが無茶なことをなさらないように、いくらでも心配して差し上げますって。これからは夜も眠れぬほど心配することにしますわ。そうすればイザークも少しは無茶をなさらないでしょう」
水色の瞳に悪戯っぽい光を湛えて見上げてくる幼馴染みに、イザークはまいったとばかりに苦笑を浮かべた。
「まったく。本当にラクスには敵わないな」
星の滴を編み上げたような輝く銀の髪に白皙の肌を持つ美しい少年と、暖かい春の陽射しのような緋色の髪に象牙色の肌の可憐な少女。和やかに微笑みあう二人の姿はまるで一幅の絵画のようで、見る者すべてを魅了せずにおかないだろう。もしここが中世ヨーロッパだったら、吟遊詩人がその美しさを湛えて恋唄の一つも即興で詠ったに違いない。
だが今は中世ヨーロッパではないし、吟遊詩人もいやしない。しかも、銀色の麗人はどんなに外見が美少年に見えても、れっきとした少女なのだ。
二人の間に挟まれる形で椅子に座っていたアスランは、目の前の美しい一対を複雑な表情で眺めていた。
方やプラントの歌姫と名声の高いラクス・クライン。方やアカデミーきっての才媛イザーク・ジュール。アスランとの個人的関係からすると、前者は〈元〉婚約者――諸事情で対外的には現在進行形なのだが、両者の間では既に婚約解消で合意している――で、後者は彼の恋人である。
なんとも複雑な関係の三人が居合わせること自体おかしなことだが、〈元〉婚約者と恋人が幼馴染みであるため、クライン邸ではしばしば三人揃ってのお茶会が催されている。三人揃ってというと語弊があるかもしれない。正確には二人+一人といったところか。この場合、一人とは紛れもなくアスランのことである。実際、こうやって二人だけで楽しく会話をされていると、自分の存在は一体なんなのかとつい考えてしまいたくなってしまう。
アスランはもはや何度目かわからない溜息をそっと吐いた。が、案外大きな溜息だったらしく、気づいた二人が会話を止めてアスランを見やった。
「――浮かない顔をなさってらっしゃいますけど、如何なさいました?」
気遣わしげに訊ねられるが、穏やかな光を湛えた水色の瞳の奥に「邪魔」の二文字が見え隠れしているような気がするのは被害妄想だろうか?
「い、いや、別に…」
言葉を濁して取り繕った笑みを貼り付けると、顔を覗き込んでいたイザークが僅かに柳眉を顰めた。
「そう言えば顔色が悪いな」
と。
何の前触れもなく腰を浮かせた彼女の白皙の美貌がゆっくりとアスランに近付いてくる。何が起こったのかわからず半ば固まってしまった彼の眼の前、吐息が触れんばかりの距離に白皙の美貌があって、瞬間アスランの頭の中が真っ白になった。
――――え? え? えええーーーっっっ!!!
石になったかのように身動きできない彼の額に、こつんと微かな温もりが触れた。額と額が触れ合う感触に、アスランはただただ瞳を見開いたまま硬直してしまう。
「……熱はなさそうだな」
ふいに。触れた時と同様に唐突に温もりが離れた。
ショートしてしまった優秀なはずの頭脳が何事が起きたかをようやく認識した途端、ぼんっと音が出そうなほど見事にアスランの顔面が火を噴いた。その衝撃のあまり椅子からずり落ちそうになる。
「あらあら。お顔が真っ赤ですわよ、アスラン。大丈夫ですの?」
楽しげにラクスが微笑んだ。しかし、穏やかな口調とは裏腹にその水色の瞳は笑ってはおらず、歌姫のあからさまな敵意――原因は疑いようもなくイザークの行動だ――に思わず顔が引き攣ってしまう。
「…おい。本当にどこか悪いんじゃないのか?」
あきれたようなイザークの声に「君のせいだよ」とは言えないアスランは、脱力しそうになる身体を何とか背もたれに凭れさせながら、無自覚で無邪気な恋人をほんの少し恨めしく思うのだった。
つづく?(笑)